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【8月】明日をさわやかにする「しょうが焼定食」

 しょうが焼に、なるはずだったのだ。

 フライパンから、香ばしいというよりも、煙のようなにおいが立ち込めている。大学進学を機に一人暮らしをはじめて4カ月あまり。たまには自炊でもしてやるかと意気込んだ結果がこれだ。俺は、焼き焦げた物体をむりやり、胃袋に押しこむ。とても食べられるものではなく、むなしさでいっぱいになった俺は、財布をつかんで、部屋を飛び出した。

 アパートの庭では、黄金色の太陽の光を浴びながら、真っ青な朝顔が咲き乱れている。「明日もさわやかに」。大家さんが教えてくれた花言葉が、今はかえって俺を追い詰める。

 近くに、やよい軒があるのは知っていた。でも、入ったことはなかった。米は自分で炊けばいい、肉と野菜を炒めるくらい簡単につくれる。そう思っていた。驕っていたのだ。

 店に入ると俺は、迷わずしょうが焼定食の食券を買って、テーブルについた。昼時は過ぎているはずなのに、店内は繁盛していた。若い女の人も、じいさんも、ひとり客はそこかしこにいる。みんな、全然さみしそうじゃない。むしろ、運ばれてきた定食を前に、顔をほころばせている。そのことに、ちょっと、救われた気持ちになる。

 やがてしょうが焼定食が運ばれてくると、俺はまず一気にそのにおいを吸い込んだ。甘いたれと肉の脂がとけあい、鼻を刺激する。そう、これ。これが食べたかった。マヨネーズをたっぷりつけて、俺は肉をほおばる。そして。

 ぽろり、と涙がこぼれた。

 ――なんで。

 俺が食べたかった、恋焦がれていた、実家の味とほとんど同じ。親父のつくるしょうが焼、そのものだ。

 親父のレシピでは、厚めの肉を千切りキャベツと一緒にもやしと混ぜ合わせる。たれが沁みてくたくたになりながらも歯ごたえのある食感がクセになり、どんな店で食べる味よりも大好きだった。

 はっとして、俺は食べかけのしょうが焼を写真に撮って、親父に送った。〈もしかして、これ?〉と一言添えて。

 大学時代の親父が通っていた定食屋の話を聞いたことがある。そこで食べたしょうが焼があまりにうまくて、まねしてつくるようになったのだと。

 スマホが、鳴る。

 うさぎが親指を立てたスタンプとともに、〈お前も、精進しろよ!〉と一言。それって、俺もつくれるようになれってこと? それとも、一人でも大丈夫になれるように、頑張れってこと?

 

 聞いてみたい、と思った。親父の大学時代のことを、一緒にしょうが焼を食べながら。いや、まずはつくりかたを、教えてほしい。

 あとで、朝顔の写真も送ってやろう。そう思いながら肉とごはんを口いっぱいに頬張ると、全身に力がみなぎり、心にさわやかな風が吹き抜けた。

 

作=橘もも イラスト=畠山モグ