【7月】猛暑を乗り越える「冷汁ととり南蛮の定食」
砂漠でオアシスとは、このことだった。
熱気でゆがんだ視界の先に、やよい軒の看板が見えて、私は崩れ落ちそうだった膝に力をこめる。
「やばい、って思ったときは、とりあえず味噌汁飲んどきな」
遠い昔、教えてもらった言葉が脳裏にちらつく。とりあえず定食ならなんでもいいと、店に入るなり、ろくにメニューも見ずボタンを押そうとして――ある一点に、釘付けになる。
冷汁ととり南蛮の定食。瞬間、記憶が鮮明によみがえった。そうだ。とりあえず味噌汁、のあとに、あの人はこうも言ったのだ。「ま、夏は冷汁があればベストなんだけどね」。私は迷わず、ボタンを押した。
浅い呼吸をととのえていると、そう待たされることなく、定食が運ばれてきた。
お椀を手にすると、味噌汁に氷が浮かんで、からころと音をたてる。一口ふくんで、想像以上にひんやりとしたのどごしと塩気の多さに驚くけれど、同時に、全身から火照りとけだるさが抜けていく。
そういえば、ごはんとまぜて食べるのが定番なんだっけ。
私は、お椀のなかにお米をぼとんと大きめに落とした。ここ何日も、固形物を食べる気になれなかったのに、冷汁と一緒になら、ごはんがどんどん胃に流れ込んでいく。きゅうりのしゃきしゃきとした食感も、みずみずしさも、すべてが体を癒してくれる。
そしてようやく、とり南蛮の隣に焼いたサバの小鉢が置かれていることに気がついた。焼き魚をほぐして加えるのも、本場流。そう、教えられたことにも従うと、出汁の風味が濃くなって、ますますかきこむ手が止まらなくなる。これは人にすすめたくもなるだろうと、私は久しぶりに、あの人の顔を思い出す。
郷土愛にあふれた男だった。新卒で入った会社の同期で、30代になっても独身なのは私たちだけだったから、自然と飲みに行く機会が増えた。そこに色っぽいものはなかったけれど、一度だけ、家業を継ぐため会社をやめることになった彼に、言われた。
「きみには、俺の地元の冷汁、食べてもらいたかったんだけどな」
じゃあ、連れてってくれる? と言えていたら、何かが変わっていただろうか。でも、言えなかった。私が働く姿は、百合のように高潔だと、かっこよくて憧れると言ってくれた彼の言葉のほうを、大事にしたかったから。
私が百合なら、彼は常磐のように深い緑でまわりを包み込む安らぎのような人だった。夏がくるたび、やよい軒にくれば、冷汁と一緒に彼のやさしさを思い出せる。40代になっても、50代になっても、きっと私は頑張れる。
作=橘もも イラスト=畠山モグ