【6月】明日も美しく生きるための「かつ丼」
涙を飲み込むように、かつ丼を食べるのは、いったい何度目だろう。
最初は大学時代、当時の恋人とひどい別れ方をしたとき。ごはんも食べずに、毎日泣いて引きこもってばかりいたら、おねえちゃんが突然、部屋に運んできた。
食欲なんてちっとも湧かなかったけど、湯気と一緒にただよう出汁のにおいに胃袋が刺激されて、ぎゅるぎゅる鳴った。卵にとじられたかつは、しっとりしているのにサクサクで、一口食べたら止まらなかった。かつと卵がなくなってしまっても、タレの染み込んだごはんはそれだけで甘く、心の穴を満たしてくれた。
そんな私を見て、おねえちゃんは、にんまり笑った。
「肉と揚げ物を食べながら、落ち込み続けるのは不可能だからね」
そう言って、おねえちゃんは、それからもときどき、私が落ち込むたびにかつ丼をつくってくれた――と思っていた。それがやよい軒のテイクアウトだと知ったのは、ずっとずっとあとのこと。
「目玉焼きも焦がす私が、こんなに上手につくれるわけないじゃん!」
そう言って呆れていたけど、わざわざどんぶりに移し替えていたのだから、確信犯だったと思う。
やがておねえちゃんが家を出て、私も一人暮らしを始めて、どんなに落ち込んでもかつ丼を買ってきてくれる人はいなくなった。だからいつしか、私はやよい軒に足を運ぶようになった。
仕事で失敗したとき。充実している友達が眩しすぎたとき。誰かに心ない言葉をぶつけられたとき。自分だけがこの世界にひとりぼっちで、なんの価値もないような気がしてしまう日が、ときどき、不意に訪れる。とくに今日みたいな梅雨のさなか、厚い雲が空を覆い隠し、靴に雨が沁み込み、頭のてっぺんから爪先まで憂鬱な日は、立ち直るのが難しい。
そういうとき、私は決まって、かつ丼を大盛で注文する。おなかがすいていようがいまいが関係ない。おねえちゃんの言葉を思い出しながら、口のなかにほかほかのごはんとサクサクのかつを放り込んで、力いっぱい、もりもり食べる。
数年前、結婚したおねえちゃんは遠くへ越していった。
友達もみんな、仕事や子育てに忙しく、学生時代と違っていつでも電話したり会ったりできるわけじゃない。
私を癒せるのは、いつだって、私だけ。
だから、泣くかわりにかつ丼を食べる。
おいしいごはんを、おいしいと思えている限り、大丈夫。雨に濡れるとひときわ美しい紫陽花(あじさい)のように、傷ついたって、くじけそうになったって、私は私のままで美しく明日を生きていける。
そう信じて、今日も米粒一つ残さず、私はどんぶりを空にする。
雲の隙間からも、薄群青の空が顔を覗かせ、一筋の光が差し込んでいる。
作=橘もも イラスト=畠山モグ