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【3月】世界のどんな美食にも負けない「肉野菜炒め定食」

 海外出張から帰ってきたぼくが、空港から最初に向かう場所は決まっている。

 どれだけ疲れ果てていても、いや疲れているからこそ、いつものあの味を求めて直行する。それはどの国に行こうと変わらない。飛行機が無事に着陸すると、居ても立っても居られなくなって、家や会社よりも先に、やよい軒のドアをくぐるのだ。

 頼むのはたいてい、肉野菜炒め定食。肉の旨味を引き出すガツンとした塩気が、くたくたの体に効く。しゃきしゃきとした歯ごたえがありながら、きっちり火がとおって、ほどよくしんなりしている。豚バラ肉の脂がまざってほのかに甘いのもいいが、付け合わせの辛子味噌を加えれば、一気に味が締まって気合も入る。

 そう、今日のぼくは気合を入れたかった。

 企画力のずば抜けた同期。英語どころか中国語もドイツ語も流暢な後輩。ぼくと同じで語学は得意じゃないはずなのに、どんな国の人相手でもするりと懐に入り込む先輩。プロジェクトチームの仲間は何かしら秀でたものを持っているのに、ぼくだけが凡庸。すべてにおいて、可もなく不可もない。そんな自分に、久しぶりに打ちのめされた出張だった。

 そういうときこそ、肉野菜炒め定食なのだ。

 どこで食べても同じじゃないか、と言う人もいるかもしれない。でも、ぼくは肉野菜炒めにこそ料理人の本領が発揮される、と思っている。焦がさず、水っぽくなりすぎず、ちょうどいい塩梅で炒めるのがどれほど難しいかは、ぼくも自宅で実践済みだ。

 豆腐も、またうまいんだよなあ。ぼくがいつも定食を選ぶのは、冷奴の小皿がついているから。もっと食べたくて、味噌汁も豚汁に変える。なにからなにまで「そうそう、この味!」と膝をうつシンプルなうまさの極致。

 食べながら、いつも思いだすのは母の顔。やよい軒の肉野菜炒め定食をはじめて食べたとき、「菜の花のような人になりなさい」と母がいつも言っていた意味がわかったような気がしたからだ。

 実家の近所には菜の花畑があって、春になると黄金色に咲き乱れる。その荘厳さに比べれば、一輪で咲く姿は見過ごしてしまいそうなほど可憐で質素。でもそれは個性がないという意味ではなくて、冬の寒さを耐え忍ぶ精鋭であることに変わりはないし、食べてみるとそれぞれに苦みがある。同じなようで、同じじゃない。自分なりの強さと苦さを抱いて社会を生き抜きなさいと、母は言ってくれていたんじゃないかと思うのだ。

 考えすぎだろうか。

 でもいいんだ。誰がなんと言おうとぼくにとっては、やよい軒がいちばん。世界中のどんな美食にだって負けない。そう思える仕事をぼくもするんだと、気持ちを新たにできることも、やよい軒に足を運ぶ理由の一つかもしれない。

 

作=橘もも イラスト=畠山モグ