【11月】おいしさは国境を越える「かきフライ定食」
娘の指先に、真っ赤なカメリアが咲いている。クリスマスでもないのに、といぶかしむ私に気づいたのか、「これは山茶花だよ」と娘が笑う。左頬に浮かぶえくぼは、運命的な恋のしるし。きっとこの子は幸せになれると、生まれたときに思った自分が恨めしい。
実際、娘は、恋をした。パリの大学で出会った日本人と。
止めるのも聞かず、大学を卒業してすぐ恋人を追いかけ、日本にわたって二年。一度も帰ってこない娘にしびれを切らし、とうとうみずから会いに来た。
「とっておきの日本食を食べさせてあげる」と、娘が連れて行ってくれたのは街の定食屋、やよい軒。やよいは、三月という意味らしい。
「ロゴの緑は若草色。草木が芽吹く春の色なの。日本には、季節や情緒にちなんだ色の名前が多いんだよ」
ネイリストとして働く娘は、どこか誇らしげに教えてくれる。だから指先にも、秋の終わりから咲く山茶花を、黄色まじりの紅緋を使って描いた。紅葉の雰囲気とも重なるから、と。
フランスにだって、たくさんの色がある。カメリアのルージュ。ワインのボルドー。十分じゃないか、と言いたい。でも、言えない。この国で暮らすことを、娘は選んでしまったのだから。
「かきフライ定食、お待たせしました」
店員が運んできたそれを、私はまじまじと見つめた。オイスターを、フライにするなんて。ウスターソースやタルタルソースで食べるなんて。正直、受け入れがたかったけれど、娘の期待に抵抗できず、おそるおそる、一口かじる。
「……ほふっ」
まるでシチューのようなクリーミーな牡蠣が口の中にとろけだす。知らなかった、牡蠣って揚げても飲み物なのね。サクサクの衣と、身の柔らかさの対比も絶妙で、味わったことのない旨みに私は言葉を失う。
こんな食べ方が、あるなんて。
タルタルソースをつければ、さらに濃厚に。レモンをかければ、さっぱりに。さらにウスターソースで味変。くりかえすうち、フライは一つ、また一つと私の胃の中へと消えていく。
「ママに食べさせたいって、ずっと思ってたんだ」
嬉しそうな娘に、私はついに観念した。
私の知らない場所で、私の知らない出会いを重ねて、この子は今を生きている。それは決して、おそろしいことばかりではない。むしろ喜びに満ちているのだと、認めないわけにはいかなかった。
この子の日常がおいしいもので満ちているなら、それもまた十分じゃないかと、ようやく思うことができたのだ。
「日本にいるあいだ、私の知らないおいしいものをたくさん教えてね」
言うと、娘の頬でえくぼが弾ける。そうだ、指先には、山茶花を咲かせてもらおう。決めた私の左頬にも、小さなえくぼが浮かんでいる。
作=橘もも イラスト=畠山モグ